先週、突然、訃報が届きました。
我が家がスキーを続けてきたきっかけとなった恩人の悲しい知らせでした。
享年87歳のAさんの話を今日は少し書きたいと思います。
長男が「ぴっぷスキー学校」に入ったのは小学3年生の時の事。
大好きなスキーを自分で滑っているだけでは物足りなくなくなり、もっと上手になりたい!と言って自分で決めて入りました。
ジュニアの検定、級別の検定を次から次へと受け、合格を手にし、ますますスキーが大好きになっていった長男。
でも、級別1級では何度も落ち、自信を無くし、どうしたら受かるのか全く分からず困っていた時に出会ったのがAさんでした。
今、思えばもう出会った頃のAさんは70代。
背筋はピンと伸び、スキーをすれば我が家の誰よりも早くかっこよく滑っていたAさん。
スキーを長く続けてこられていたので、たくさんの知り合いの方がAさんの周りにはいて、我が家も大勢の方に紹介していただき、そのご縁は今でも続いています。
紹介してもらえるきっかけとなった出来事は小学5年生だった長男が級別1級の壁でもがいていた時のこと。
何回も試験を受けて落ちていた長男を見かねて、Aさんが知り合いの方を紹介してくれて、少しレッスンしてもらえることになりました。
色々アドバイスをいただき、お陰様で無事に1級合格し、自信を取り戻した長男は選手として練習する「土曜アスリート」というスキー学校のコースに入り、今に至るのです。
あの時、Aさんに会わず、1級も受かっていなければ、我が家の今のスキー生活は絶対にありえませんでした。
初めてスキー場で会った時から12年。
Aさんは二男も教えてくれ、幼稚園児だった三男とは毎週末スキー場で待ち合わせをし、午前中いっぱいは一緒に滑ってもらっていました。
Aさんが「こんなじーさんに習っていたのではダメだ。ちゃんとスキー学校で習った方がいい」と言うまで、まるで孫のように一緒に滑ってもらいました。
我が家の息子たちがどんどん成長し、高校入学や、大会での成績を報告するたびに嬉しそうに聞いていたAさん。。
子どもたちがそれぞれ練習してAさんと滑ることが無くなっても、ロッジで待っている私の所で、「長男は〇〇で練習していた」とか、「三男はあっという間に上手になった」などと話に来てくれました。
そしていつも最後に「もうみんな上手になりすぎて一緒に滑ることは出来ないな~」と笑って、でも寂しそうに言っていました。
子どもたちも大好きなAさんだったのでゲレンデで見かけるたびに手を振ったり、挨拶したりしていましたが、Aさんが80歳を超え、車の免許を返納したあたりからスキー場に来る回数は激減。
一昨年まではバス2本を乗り継いでスキー場に来ていたAさん。
長男が就職したこと、二男が準指導員を取ったこと、三男が中体連で全国に行ったこと、誰かから聞いていたようで、とてもとても喜んでくれていました。
特に三男の全国は喜んでくれて、「あの〇○くんが、すごいな~。でも、いつかはそうなると思っていたよ」と目を潤ませて話していました。
私が旭山でソフトクリームを販売していると聞いたAさんは一年に一回食べに来てくれていました。
スキーウェアを脱ぐと急に年相応の年齢に見えたAさん。
でも、白いシャツと、ベージュのパンツ、ベレー帽をかぶってメロンソーダフロートをとても美味しそうに飲んでくれていました。
私も年を取ったら、こんな粋な年齢の重ね方をしたいなと思ういいお見本の方でした。
去年も奥様とソフトクリームを食べに来て、またスキー場でね!と手を振り帰って行ったのが私がAさんをみた最後。
お通夜にはスキーの講習でどうしても抜けられない二男以外、家族全員で行きました。
でも、スキー大好きなAさんならきっと「練習(講習)優先して!」と言ってくれるはず。
たくさんの思い出とたくさんの人の縁を私たち家族に残してくれたAさんにお返しは何もできなかったけれど、これからもスキーを続けていくことが私たち家族の唯一できること。
選手はいつか辞めてしまうかもしれないけれど、Aさんのようにいくつになっても雪が降ったらスキー場に行きたくてウズウズするようなそんな人間でありたいです。
そしていつかAさんがくれたような優しさをまた誰かに私たちも届けることが出来たらいいなと思うのです。
どんなに感謝してもしきれないくらいのありがとうと、そして今年会えたら言おうと思っていた三男の「高校選抜出場決定」の報告。
高体連で全国は行けなかったけれど、実は「高校選抜」では全国に行けることが決まりました。
「今年は長野です。お土産、渡したかったよ。喜んでくれる顔がもう一度だけ見たかったよ」
向こうの世界まで聞こえているかな?きっとこの声、届いているよね。
人は年齢や性別を超えて、ずっと付き合って行ける人間と時として出会うものです。
ただ、それは永遠に続くのではなく、いつか終わりがあるものだとしたら、その出会った人との縁や一緒にいる今の時間を大切に…そんなことを教えてくれた人でした。
Aさんに胸張って報告できるように、これからも楽しんでスキーを続けていこうと思います。
青い空の向こうの世界でこれからも見ていてくれると嬉しいな。

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我が家がスキーを続けてきたきっかけとなった恩人の悲しい知らせでした。
享年87歳のAさんの話を今日は少し書きたいと思います。
長男が「ぴっぷスキー学校」に入ったのは小学3年生の時の事。
大好きなスキーを自分で滑っているだけでは物足りなくなくなり、もっと上手になりたい!と言って自分で決めて入りました。
ジュニアの検定、級別の検定を次から次へと受け、合格を手にし、ますますスキーが大好きになっていった長男。
でも、級別1級では何度も落ち、自信を無くし、どうしたら受かるのか全く分からず困っていた時に出会ったのがAさんでした。
今、思えばもう出会った頃のAさんは70代。
背筋はピンと伸び、スキーをすれば我が家の誰よりも早くかっこよく滑っていたAさん。
スキーを長く続けてこられていたので、たくさんの知り合いの方がAさんの周りにはいて、我が家も大勢の方に紹介していただき、そのご縁は今でも続いています。
紹介してもらえるきっかけとなった出来事は小学5年生だった長男が級別1級の壁でもがいていた時のこと。
何回も試験を受けて落ちていた長男を見かねて、Aさんが知り合いの方を紹介してくれて、少しレッスンしてもらえることになりました。
色々アドバイスをいただき、お陰様で無事に1級合格し、自信を取り戻した長男は選手として練習する「土曜アスリート」というスキー学校のコースに入り、今に至るのです。
あの時、Aさんに会わず、1級も受かっていなければ、我が家の今のスキー生活は絶対にありえませんでした。
初めてスキー場で会った時から12年。
Aさんは二男も教えてくれ、幼稚園児だった三男とは毎週末スキー場で待ち合わせをし、午前中いっぱいは一緒に滑ってもらっていました。
Aさんが「こんなじーさんに習っていたのではダメだ。ちゃんとスキー学校で習った方がいい」と言うまで、まるで孫のように一緒に滑ってもらいました。
我が家の息子たちがどんどん成長し、高校入学や、大会での成績を報告するたびに嬉しそうに聞いていたAさん。。
子どもたちがそれぞれ練習してAさんと滑ることが無くなっても、ロッジで待っている私の所で、「長男は〇〇で練習していた」とか、「三男はあっという間に上手になった」などと話に来てくれました。
そしていつも最後に「もうみんな上手になりすぎて一緒に滑ることは出来ないな~」と笑って、でも寂しそうに言っていました。
子どもたちも大好きなAさんだったのでゲレンデで見かけるたびに手を振ったり、挨拶したりしていましたが、Aさんが80歳を超え、車の免許を返納したあたりからスキー場に来る回数は激減。
一昨年まではバス2本を乗り継いでスキー場に来ていたAさん。
長男が就職したこと、二男が準指導員を取ったこと、三男が中体連で全国に行ったこと、誰かから聞いていたようで、とてもとても喜んでくれていました。
特に三男の全国は喜んでくれて、「あの〇○くんが、すごいな~。でも、いつかはそうなると思っていたよ」と目を潤ませて話していました。
私が旭山でソフトクリームを販売していると聞いたAさんは一年に一回食べに来てくれていました。
スキーウェアを脱ぐと急に年相応の年齢に見えたAさん。
でも、白いシャツと、ベージュのパンツ、ベレー帽をかぶってメロンソーダフロートをとても美味しそうに飲んでくれていました。
私も年を取ったら、こんな粋な年齢の重ね方をしたいなと思ういいお見本の方でした。
去年も奥様とソフトクリームを食べに来て、またスキー場でね!と手を振り帰って行ったのが私がAさんをみた最後。
お通夜にはスキーの講習でどうしても抜けられない二男以外、家族全員で行きました。
でも、スキー大好きなAさんならきっと「練習(講習)優先して!」と言ってくれるはず。
たくさんの思い出とたくさんの人の縁を私たち家族に残してくれたAさんにお返しは何もできなかったけれど、これからもスキーを続けていくことが私たち家族の唯一できること。
選手はいつか辞めてしまうかもしれないけれど、Aさんのようにいくつになっても雪が降ったらスキー場に行きたくてウズウズするようなそんな人間でありたいです。
そしていつかAさんがくれたような優しさをまた誰かに私たちも届けることが出来たらいいなと思うのです。
どんなに感謝してもしきれないくらいのありがとうと、そして今年会えたら言おうと思っていた三男の「高校選抜出場決定」の報告。
高体連で全国は行けなかったけれど、実は「高校選抜」では全国に行けることが決まりました。
「今年は長野です。お土産、渡したかったよ。喜んでくれる顔がもう一度だけ見たかったよ」
向こうの世界まで聞こえているかな?きっとこの声、届いているよね。
人は年齢や性別を超えて、ずっと付き合って行ける人間と時として出会うものです。
ただ、それは永遠に続くのではなく、いつか終わりがあるものだとしたら、その出会った人との縁や一緒にいる今の時間を大切に…そんなことを教えてくれた人でした。
Aさんに胸張って報告できるように、これからも楽しんでスキーを続けていこうと思います。
青い空の向こうの世界でこれからも見ていてくれると嬉しいな。

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